[要件事実/認定考査] 過失(不特定概念)と主要事実 の 論点
投稿日:2018年8月10日 更新日:
目次
1 過失を主要事実とする考えでは、訴訟が空転する
過失を主要事実とする考えでは、訴訟が空転する。
過失という、言わば不特定概念・規範的要件(具体的事実に対する裁判所の法的評価・規範的評価)そのものを主要事実とするのでは、訴訟当事者は、何を攻撃防御の目標にして訴訟活動を行ってよいのか、分からなくなってしまう。
当該交通事故の損害賠償請求訴訟において、「脇見運転」を争点とすればよいのか、「スピード違反」を争点とすればよいのか、はたまた「適切な車間距離を保って走行していないこと」を争点とすればよいのか、訴訟当事者、裁判所としては、まったく訴訟の主題自体が見定まらないことになってしまう。
2 これは弁論主義を考えれば明らかである
これは弁論主義を考えれば明らかになります。
弁論主義は、主要事実に適用される。
まず、このことを確認しておきます。
次に、弁論主義の第1、第2、第3テーゼを確認しておきます。
これにより職権証拠調べの禁止
が導かれます。
以上の三つです。
このうち第1テーゼが、典型的によく引き合いに出され問題とされます。
この主張原則からは、仮に過失といった抽象的な規範的要件・不特定概念を弁論主義の適用のある主要事実と捉えてしまうと、次のような不都合が惹起されます。
すなわち、例えば交通事故(物損事故)において、
原告が被告の一時停止義務違反(道交法第43条)を主張立証し、これに呼応して被告も同義務違反がないことを反証していたとします。
そうしていたところ、過失とい抽象的な規範的要件・不特定概念を弁論主義の適用のある主要事実と捉えてしまうと、裁判所が被告の前方不注視をいきなり認定して、原告の被告に対する、不法行為に基づく損害賠償請求権を認容する判決を言い渡すことが可能となってしまいます。
具体的事実である一時停止を行わなかったこと、あるいは前方注視を行わなかったことは、弁論主義の適用のある主要事実ではなく、被告の過失という主要事実を立証する間接事実の一つとして位置づけられてしまうからです。
間接事実には、弁論主義の主張責任の適用がなく、したがって、証拠調べ等で現れれば、裁判所は当事者の主張なくして事実認定を行い、裁判の基礎とすることが可能となってしまうのです。
過失という不特定概念・規範的要件を主要事実と考えると、このような不都合が起きてしまいます。
これでは、被告に対する不意打ちも甚だしい。
そこで、過失という不特定概念・規範的要件ではなく、過失を構成するところの、一時停止を行わなかったこと、あるいは前方注視を行わなかったことに該当する具体的事実を主要事実として、かかる行為の不作為を義務違反として捉え、被告の過失を裁判所は認定するのです。(*注1)
このように具体的事実を主要事実とすれば、弁論主義の第1テーゼである主張責任が適用される結果、原告が被告の一時停止義務違反を主張立証し、これに呼応して被告も同義務違反がないことを反証していたところ、裁判所が被告の前方不注視をいきなり認定して、被告の不法行為責任を認める判決を言い渡すことは弁論主義違反となるのです。
裁判所は、当事者の主張しない事実(=前方不注視)を判決の基礎としてはならないのに[第1テーゼ:主張原則]、これに反して、前方不注視を判決の基礎としたからです。
(⇒訴訟において当事者が主張立証(本証)・反証していたのは、一時停止の有無だったはずです。)
以上から、裁判所は、過失という不特定概念・規範的要件ではなく、過失を構成するところの、具体的事実を主要事実と捉えるのです。(勿論、これは一つの見解、学説です。)
敷衍すれば、過失は裁判所の法的評価であって、当該過失を具体的に構成し、基礎づけているところの「脇見運転」、「酒酔い運転」、「スピード違反の運転(法定のスピードを超過する運転)」、「一時停止義務違反の運転(一時停止を行わない運転)」、「徐行義務違反の運転(徐行を行わない運転)」、「車間距離保持義務違反の運転(車間距離を適切に保持しない運転・車間距離不保持運転)」に該当する具体的事実そのものが、主張責任の及ぶ、すなわち、弁論主義の及ぶ主要事実となります。
まとめ 過失を基礎づける具体的事実を主要事実と捉える
過失と主要事実の論点においては、「弁論主義や被告に対する不意打ち防止等の観点から、過失を基礎づける具体的事実を主要事実と捉える。」、このような考え方があることを理解します。(勿論、これは一つの見解、学説ですが・・・。)
(*注1)過失を構成するところの、一時停止を行わなかったこと、あるいは前方注視を行わなかったことに該当する具体的事実が、評価根拠事実であり、主要事実である、とも言える。
余談: 訴状に単に「被告に過失がある」とだけ記載し、過失を構成する具体的事実を記載しないで起案した特別研修受講生がいたとすれば、注意喚起が必要でしょう。また、弁論主義や被告に対する不意打ち防止等の観点から、過失を基礎づける具体的事実を主要事実と捉えること(これは一つの説明の仕方(見解・学説)であり、他の説明の仕方も勿論あるが)(*1)、このことを特別研修受講生に対して、説明しない、あるいはできないチューターがいたとしたら、司法試験型の民事訴訟法の勉強による基礎固めが是非とも必要となるのではないでしょうか。
司法書士試験の民事訴訟法においては、論文式試験は勿論なく、択一の問題数もたったの5問であり、かつ、法解釈的理解というよりは、ほとんどが条文の暗記問題です。直截にいいますが、司法書士試験における択一の民事訴訟法の勉強だけでは、民事訴訟法の理解は極めて不十分である、このように思われます。
これは、司法書士試験に欠陥があると言っているのではありません。司法書士試験の民事訴訟法の択一問題は秀逸です。そして、司法書士試験の午前・午後の部の問題形式、問題数、難易度、そのすべてが絶妙なバランスのもとに成り立っていることも承知しています。一つの試験において、できることの最大限の工夫がなされています。
しかし、一つの試験で試せることには限界があります。やはり、司法試験型の民事訴訟法の勉強による基礎固めが、是非とも必要となるのではないでしょうか。
和解の仕方一つをとっても、既判力・執行力を理解していない特別研修受講生が余りにも多いように思われます。既判力・執行力を理解していれば、紛争の一回的解決の要請・紛争の蒸し返し防止あるいは債務名義の実効性確保等の観点から、訴訟当事者に加えて、どのような者を利害関係人として和解に参加させるべきかについても気を配りますし、和解条項の内容にも細心の注意(*2)を払うようになります。特別研修受講生が、余りにも稚拙・粗雑な和解案を提案してしまうのも、基本的なところで民事訴訟法の理解に欠けるからです。そして、敢えて辛辣な言い方をしますが、司法書士試験合格の択一民事訴訟法のレベルどまりの、否、それ未満までに実力の落ちてしまったチューターのもとでは、特別研修受講生の実力は思うようには伸びません。
辛辣な言い方をしましたが、以上の私見は、司法書士試験合格後においても民事訴訟法のさらなる高みを目指して、勉強をする必要がある、こういった問題意識の私なりの発露に他なりません。ご理解いただけると幸甚です。
(*1)他の見解・学説によるのであれば、その見解・学説の説明を是非とも行わなければ、過失・不特定概念に関する特別研修受講生の理解が十分になされないまま特別研修が終わってしまうことになるのではないか、こういった一抹の不安が生じます。
(*2)和解条項の文言で言えば、例えば「・・連帯保証をする。」では、執行上の疑義が生じます。したがって、これは避けるべきであり、「・・連帯して支払う。」と、しっかりと「訴訟上の和解」における和解条項を考えるべきでしょう。この点について、疎かにしている講師弁護士がいたとしたら、特別研修受講生は何のために研修を受けていることになるのでしょうか・・・!?、ということになります。
(*注意)なお、学説には、①主要事実適用説、②主要事実・間接事実適用説、③主要事実・準主要事実適用説、④個別判断説等がありますが(民事訴訟法・上田徹一郎著・法学書院・参照)、私の記載は極めて単純化したオーソドックスな説明に終始しております。あらかじめご承知おきください。
学者・実務家の諸先生が精緻な議論を展開しておられます。より正確な理解のためには、是非、諸先生方のご著書をどれか一つお読みになられてください。(例えば、弁論主義は主要事実にのみ適用されるとの説に反対し、重要な間接事実にも、弁論主義、特にその第1テーゼ、第2テーゼの適用があるとする学説もあります。ただし、有限な勉強時間からすれば、試験対策上、いろいろな議論に深入りする時間的余裕もありません。典型的な基本書を通読すれば、それで十分でしょう。)
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執筆者:略して鬼トラ
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